【Discussion】#5:コンピュータは意味付けをしない

Discussion

山口裕之氏の『認知哲学』を読んで、「意味とは何か」「理解するとは何か」考えるきっかけになったので記録する。

コンピュータとは、意味と対応しない単なる電気信号の操作によって「計算」を実現する機械である。コンピュータ発明の背後にある思想を一言でまとめるなら、「意識の本質的な働きは思考である。思考とは言語である。言語とは計算であり、計算は、「意味」と対応しない、単なる記号のレベルでの操作によって実現される」というふうになろう。こうした思想の最初の文と最後の文をくっつけると、「意識の本質的働きは、・・・単なる記号のレベルでの操作によって実現される」ということになる。つまるところ、この思想は、コンピュータによって人間の意識が再現できるはずだ、という思想に他ならない。

人間の意識の再現を通して、意識とは何かというところに迫るような書き出しであるが、ここでは「中国語の部屋」という有名な思考実験を通して、コンピュータによって意識を再現できるか否かという問題について考察している。

この「中国語の部屋」について改めて読む中で気付いたことなどをここでは記しておく。まず、「中国語の部屋」について簡単に説明すると、ジョン・サールによる反AIの議論のために思考実験である。簡単に言うと次のような話である。

あなたは部屋の中に閉じ込められている。その部屋に外から中国語(あなたが読み書きできない言語)の文章が届けられる。部屋の中には届けられた文章(記号の並び)に対してどんな文章(記号の並び)を返したら良いかを説明したマニュアル(あなたが読み書き可能な母国語のもの)が置いてある。あなたはそのマニュアルの通りに文章(意味のわからない記号の並び)を紙に書いて外へ返す。このとき、部屋の外で中国語を書いた紙を受け渡している中国人から見ると、紙のやりとりをしている相手(あるいはその部屋)が中国語を理解していると思うであろう。しかし、あなたは、意味もわからないまま、与えられた記号に対して、マニュアル通りに記号を書いているだけである。

この思考実験でのあなたの動作はコンピュータにおける処理に、部屋の外の中国人はコンピュータの使用者に置き換えることができる。つまり、コンピュータの使用者からはコンピュータが中国語を理解して文章のやりとりを交わしているように見えることになる。このとき、コンピュータ(あるいは部屋の中のあなた)は中国語を理解しているといえるか?

この「中国の部屋」の例に対して、人工知能研究の立場からいくつか批判があり、サールはそれについてさらに反論しているがここでは割愛する。ここでのサールの主張の通り、単なる記号のやりとりではなく、その理解や意味を読み取るところに意識の本質があるのではないだろうか。

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